大会参加予備知識

millautran7.pngブータブー競技中 

m-azema-1.psd
ミディーリーブル紙にアゼマ会長と

marco-2.png
FINAL競技の開始。エキップ入場

millau-fem-final.png
女子ドウブレットの表彰。

Quand-le-Japon2.jpg
日本がペタンクに目覚めるとき

フランス大会参加 ミヨー編4

なぜ日本がペタンクに目覚めるときなのか 

 正直なところ、1993年には、ミヨー大会に初参加できるかどうか分からないままでした。
 日本の団体は、連盟と協会の2団体で、連盟が国際連盟の承認団体でした。
 連盟は、世界選手権に出場はしても、インタナショナル大会に参加している形跡は有りませんでした。
 私には、フランスの本当のペタンクを見たい、知りたいという気持ちだけが先立っていました。
 日本の実情を知るパリのクラブへ、一人180FFを払って、パリの知人宅の住所で、フランス連盟のリサンスを取得していたものの、日本からの旅行者であることに違い有りません。
 日本から依頼しておいたとおりに、パリに着いたときに、リサンスは郵送されていました。

 ミヨーには、マルセイユから鉄道でベジエに往き、ローカル鉄道に乗り換えてミヨーへ2時間かけて入りました。鉄道沿線は山中の風景で、こんな山の中に、インタナショナル大会が開かれる市街が本当にあるのか、不安な気持ちに駆られていました。大会参加に向かうような乗客の姿もありませんでした。
 到着したミヨーは、古く美しい小市街でした。

 このレポートを書く順序が、全く逆になってしまいました。

 ジュリー代表のダミアン・マス氏にお会いして、日の丸の旗を掲げて歓迎していただいたお礼を述べました。
 大会初日のテットアテットがどんな選手と当たったか覚えていませんし、コンプレマンテールに参加したかどうかさえ記憶していないのです。漠然と、1点バッジを付けた若い選手だったという感じです。
 日本から来た選手(それなりの実力選手)ということで、そういう対戦相手が当てられたということですが、ファニーでは無かったものの完敗であったことは確かです。
 ドゥブレットでも敗れ、トリプレットもスポールブール会長と組んで出場しましたが、初戦敗退でした。
 その後、猛発奮して、帰国してから、毎日、冬場も2時間以上の投球練習を欠かすこと無く翌年のミヨー大会参加に備えていました。

 初参加の年(1993)の記憶は、審判員の仕事に注目して、インタナショナル審判員やナショナル審判員に教えを請うていました。
 ミディリーブル紙の記事として、翌朝の新聞に私達夫婦が実行委員長と並んで紹介されたことを、以前ブログにも取り上げましたが、『日本にペタンクの夜明けがくる』という記事です。
 なぜ夜明けだと言われるのでしょうか? 
 それは、ペタンクの本場ならではの大会実施方法の工夫、競技規則では理解できないマナーなど、あたかもフランス人が相撲部屋に入り込んだような印象すら感じました。

 日本では、まだ、見物に値するような競技がペタンクでは行われていない状況の時代です。

対戦時のマナー

 フランスにだってマナーの良くない選手が居ます。特にこちらが日本人だと知れば、相手の選手に近づいて小馬鹿にしたようなアドヴァイス?をしたり、マナー違反の動作をします。
 しかし、そんな例はごく少なく、どちらかと言えば、ペタンクのマナーのお手本を示されたことも少なく有りません。

 以前にもブログに書きましたが、いくつかを列記して、ご参考にします。
 競技規則に直接関係したことは、特別なページを設けてお伝えします。

負けが決まったら、負けた側から先に握手を求めます

 残念なことに日本では、このような状況を見ることは、極めてまれです。
 競り合って負けが決まった場合でも、悔しさが先立つのでしょうか、不機嫌になってテランを離れるのが普通になっています。
 勝った方が、ビュベット(軽飲食テント)へ相手を誘うような環境は、まだ日本には整っていませんが、握手して(ボンヌシャンス)ぐらいは相手に伝えても悪くはないように思います。

 あと、1点、2点を相手がとれば、こちらが負けになるとき、全部の投球を失敗して、相手が2点を取ることが当たり前の状況では、相手が投球する前に、負けが決まったものとして、負けた側から握手を求める、これも、もう日本でもマナーだと考えてよいのではないでしょうか?

贈り物(カドー)の1点

 これは、現状の日本では、おそらく難しいことでしょう。
 投球はティールで行われることです。出来ないからといって、海外、特にフランスで対戦したとき、12対0から、我々のブールが最後の寄せに失敗したりして、2番手や3番手の位置になったとき、相手は突然間違って撃ったように、自分たちのビュットに近いブールから順に飛ばし始め、我々が1点取ったようにすることがあります。 
 こういう状態にすることを贈り物(カドー)と言います。
 すぐに気づいて、負けを認めた握手を求めます。
 相手はもう1メーヌやりたがっているというような判断をしてはいけません。

最後に会場を去るときは、ジュリーやスタッフへの挨拶をして帰りましょう。

 これも当たり前のことですが、いつの間にか居なくなった日本人(ジャポネ)では困ります。
 「すばらしい5日間をありがとうございました。明日の朝、ミヨーを出発しますが、また来年もぜひ参加したいと思います」程度の挨拶を、実行委員長さん初めスタッフの人たちにしてから会場を離れたいものです。顔見知りになった方たちには、「さようなら、また、来年!」と手を振って挨拶してかえります。
 日本でも当たり前という感じですが、フランスでは、特に、感動的な別れの雰囲気に包まれますよ。
 翌日早朝、一番列車のホームに、見送りにこられた方まであって、恐縮そして感激でした。

 私の最後のミヨー参加の年(1998)は、協会ツアー実施の第1回の年でした。そのとき、ツアコンダクター氏は、ミディリーブルの記者のインタビューに答えて、「あと5年すれば、日本の(二つのFJP)が統一して、東京で世界選手権大会が開催できるだろう」と答えています。帰り際に、ダミアン・マス氏は私に「5年後には東京で会えるぞ!」と感動的に語られました。  当時の私には、半信半疑な思いでしたが、「私もそれを望んでいます」と挨拶して帰りました。その後も、協会はミヨーツアーを継続し、会員には世界大会参加団体として、会報で宣伝して来ました。その状況が、ミヨーのジュリー交代で、2007年にマス氏が辞任されることが決定したと同時に一変して、協会は約束を果たさぬままミヨーツアーを中止しました。マス氏が実行委員長であってこそ可能であったミヨー参加であったのです。
 日本がいつまでたっても、1団体になれない歯がゆさが感じられますし、世界への信頼を失ってゆく状況になっているように考えます。これが日本的なんでしょうか? 

LinkIcon競技規則付録へ